久米ゼミ 第14期生卒業論文

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『女子校は女性のリーダーシップ育成に貢献しているのか〜衆議院議員の出身校分析より〜』
  • 日本は男女平等という点において世界から遅れをとっていると言える。男女間の不均衡を指標化した「ジェンダー・ギャップ指数」 は世界全体で見ても低く2018年の調査では0.662(0が完全不平等、1が完全平等)であり、149カ国中110位と先進国の中ではかなり劣っている。とりわけ女性政治家の少なさについては問題として指摘され、法律を男女雇用機会均等法、男女共同参画社会基本法など)を作ることによって、それらを解決しようとしてきた。しかし現在においても問題が解決されていないのが実情である。
  • なぜ他の先進国と比べて女性議員が極端に少ないのか。このことを考えるために、逆にどのような女性が議員になっているのかを考える。そこで本稿は女性議員立候補者の出身校に注目する。戦後の学校制が敷かれた1947年以降に教育を受けたと考えられる閣僚経験者の女性議員は26人いるが、そのうち女子高等学校出身者は11人であり、およそ42.3%に上る。日本では平成26年時点で女子高等学校がわずか6.4%(平成26年度文部科学省学校基本調査)であることを考えると十分大きな割合であるということができるだろう。(「はじめに」より抜粋)
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『なぜ都道府県によって進学率が異なるのか−都道府県間の進学率格差の計量分析−』
  • ⽇本において,⼤学進学率の地域間格差は拡⼤を続けている.本稿では,都道府県間の進学率格差がどのようなメカニズムによって⽣じているのかが検討される.理論的な考察から検証可能な予測を導出し,先⾏研究を発展させる形で実証的な仮説を構築し,さらに,その仮説を都道府県パネルデータによって計量的に検証した.その結果,進学費⽤に関して,進学率に対して負の効果を持つことが実証的に⽰された.先⾏研究において明⽰的に扱われなかった進学費⽤の効果を推定した点において,⼀定の貢献をしたと認められるものと思われる.さらに,先⾏研究の限界を⽰した点においても⼀定の貢献をしたものと思われる.都道府県間の進学率格差がどのようなメカニズムによって⽣じているのかを明らかにするためには,今後さらに緻密な分析がなされる必要があるであろう.
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『中華人民共和国における人権とその変遷―人民日報のテキスト分析を通じた考察―』
  • 中国において、経済は急速に発展し自由化しているにもかかわらず、民主化運動が大きな潮流とならず、体制転換が起きるに至っていない。これは従来の民主化に関する政治学の議論と合致しないところがあるが、レビツキー・ジブラット(2018)は、アメリカを代表に、民主主義が世界中で衰退している可能性を示唆している。それに対して、権威主義の強靭性が目立つという指摘も存在する。ここに逆説的な現象、すなわち「民主主義が衰退しているといわれているにもかかわらず、権威主義の中国は、その民主主義の思想を積極的に取り入れ、さらなる体制の強靭かを図っている」ように見える。そのような中国も2008年の北京オリンピックに合わせて、胡錦濤国家主席と温家宝首相から、対外的に「人権」「民主」を重視するなどの発言が出ていることや、2008年の四川大地震によってなし崩し的な自由報道がなされ、言論空間が制御不可能になっていること、2009年2月には人民日報にて「普遍的価値はあくまで西側の価値観であり中国が共有できる価値ではない」との記述が見られることから、共産党と中国国民もしくは外部民主化圧力との攻防が見受けられる。それに加えて、中国版SNSの台頭も相まって政府による完全な検閲が不可能になりつつある今、実際人民日報などでは人権に関する記事も時折みられるようになっていることなどから共産党指導部の内部では何らかの変化が起こっているのではないかと考えられる。
  • 現在中国の言論空間は実際のところどうなっているのか。共産党による指導がある機関紙に掲載された記事を分析することで体制の意向が垣間見えると考えられる。本論文では、『人民日報』においてリベラルな価値観の最たる例である基本的価値観のそのまた中心に位置する「人権」というキーワードにフォーカスし、それに言及された記事を定量的に分析している。そして、共産党がいかに権威主義国家にとってデリケートであり、民主主義において特に重視される人権の問題を取り扱ってきたかその変遷と傾向を分析している。
  • 主な分析は、KH Coderによってネットワーク分析がなされ、結果は共起ネットワーク図にまとめられている。分析結果として以下が確認、または示唆されている。「人権」が1988年ごろから記事上にまとまった数として現れ、増加していくことが発見されている。これには世界人権宣言40周年や六四天安門事件がトリガーして深くかかわっていることも併せて発見されている。また、1988-1990においては中国国内において人権をどう扱うかといったような議論が中心だったが近年はアメリカや国連の存在感が強く、世界へ向けて中国の人権政策を広告するとともに世界の人権運動の状況に対してオープンになってきていることが発見されている。これらの分析結果から、「人権」という概念の扱いは共産党指導部の内部で変化が起こることでそれを受け入れたことが示されている。
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『なぜ民主主義は後退するのか―社会状況と国民感情に関する実証分析―』
  • 現在、「民主主義の後退」と言われる現象が世界各国で台頭している。ロシア・中国・東欧・東南アジアでは強権政治が勢力を強め、かつて先進民主主義国と言われていた欧米諸国でさえ、自国優先主義やポピュリズム(大衆迎合)が横行し、極右政権が乱立している。
  • 本稿では、なぜ民主主義は後退するのかを研究する。川中豪(2018)の国民感情に規定要因を求めた事例研究に基づき、この研究を計量分析に応用し、国民が強い指導者を羨望する国ほど民主主義は後退しやすいという仮説を立てた。なお、国民感情は「世界価値観調査」のデータを使用し、最小二乗法による重回帰分析により、この仮説を証明した。
  • 次に、このような国民感情がどのような社会状況を反映させたものかについて研究する。民主主義体制より権威主義体制に退行する「民主主義の後退」ではなく、逆の権威主義体制から民主主義体制へ移行する「民主化」研究を行った Lipset (1959)や Przeworski (2000)、Boix (2003)に基づき、経済成長、汚職・腐敗、格差などが、どのようにして国民感情を形成するのかについて、同様に最小二乗法による重回帰分析により検証する。計量分析の結果、国民が強い指導者を羨望するためには、汚職が蔓延して腐敗国家に近づき、国民間の格差が大きくなっている状況が根拠となっていることが示された。
  • 「民主化」の規定要因を明らかにした研究が多い中、本論文ではまさに現在叫ばれている「民主主義の後退」現象について、定性的な事例研究ではなく、実証的に分析することに成功した。この研究が、現在世界各国でみられる後退現象を理解するための、一つの足掛かりになることを期待する。
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『熟議は誰の意見に影響を受けるか―静岡県での実験を用いた意見変化の分析―』
  • 熟議を行った者が熟議を通してどのように意見を変化させるのかということは、熟議を論じるうえでの大きな関心ごとである。サンスティン (2012) は熟議によってその集団の意見は極化すると主張し、 Grönlund(2015)は熟議が人々の排外意識を低下させると主張する。しかし、フィシュキンとアッカーマン(2014)は、熟議は人々の意見を十分に変化させるものだと強調するが、意見変化に「包括的に適用可能な『法則』は望めない」としている。これを念頭に、田中(2018)らが静岡県で「外国人労働者受け入れ」を議題に熟議を用いた実験を行ったデータを観察すると、熟議というものが意見変化に系統的な影響を与えているようには見えないが、グループごとに意見変化の状態を観察すると、グループによって実に多様な意見の変化を見せていることがわかる。それぞれのグループのどのような違いが意見変化の差異を引き起こすのであろうか。これを本稿の問いとして分析を行う。
  • 実験のデザインより、外生的に与えられるグループごとの差異は「集団を構成する参加者の事前の選好」と「議事進行を担当するモデレーター」であり、これらが意見変化に影響を与えているという仮説を立てて重回帰分析を行った。
  • その結論は以下の通りである。まず、熟議を行う集団のなかで外国人労働者受け入れに賛成する参加者の割合が増えると、その集団の意見は平均的に外国人労働者受け入れ反対側に傾く。その一方で、外国人労働者受け入れに反対する参加者の割合が増えても、その集団の意見は平均的に外国人労働者受け入れ反対側に傾く。また、モデレーターが意見変化に与える影響は一部のモデレーター間で有意に異なっていた。
  • さらなる分析として、具体的にモデレーターのどのような差異が意見変化に影響を与えているのかも分析を行った。分析にはモデレーターの発話テキストデータを用い、間接的にモデレーターの選好が熟議の場を支配しているという仮説を検証した。その結果、参加者の意見を外国人労働者受け入れ賛成側に変化させるモデレーターは他のモデレーターに比べて、会話のあいづちとなる語を多く発していたことが分かった。
  • 以上から、本稿で得られた結論は以下の通りである。まず、熟議を行う集団を構成する参加者の事前の選好は集団の意見変化に影響を与えるが、その影響は集団極化も排外意識の低下も示さなかった。そしてモデレーターの意見変化に与える影響は一部モデレーター間で異なり、賛成側に変化をさせるモデレーターはあいづちを示す語を比較的多く発していた。今回の調査を実施するにあたり、モデレーターは事前の訓練を行い、発言の内容も全て決められていた。それにもかかわらず、意見変化の様相がモデレーターによって異なることが指摘されたこと、そして会話の中での些細なあいづちを示す語で意見変化に影響を与える可能性が指摘されたことは、今後の調査のデザインを再考する際の重要な示唆となっている。
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『テロ指導者とは何者か?』
  • 本稿では、テロ指導者とは何者かについて実証的に分析した。
  • テロリズムに関する先行研究においては、教育水準が高い人物ほどテロ組織に参加することが明らかにされてきたが、そこにおいて分析の対象となったテロリストの多くは一般戦闘員であり、オサマ・ビンラディンのような誰もが関心を持つような「テロ指導者」の分析ではなかった(Krueger,2007)。従って、第一に「教育水準が高い人物ほど『テロ指導者』となるのか」を明らかにする。第二に、仮にテロ指導者についても教育水準が高いという特徴を見出すことができたとして、「教育とテロ指導者との関係が常に成り立つものであるのか。また成り立たない場合が存在するとしたら、それはどのような場合で、その場合に誕生したテロ指導者にはどのような特徴があるか」を明らかにする。
  • 本稿は、以上の二点を目的としている。筆者は、いかに一見して異常者として捉えられているテロ指導者であったとしても、世間一般に想定されるリーダー像と共通する部分は多く存在すると考え、一般的な「リーダー論」の観点から仮説を立てそれを検証した。仮説検証に当たっては、オンライン上に公開されているテロリストのデータベースから、ウェブスクレイピングによってデータを取得し、各テロリストのプロフィール、SNS等の発言からなるテキストデータ、生まれ育った環境における政治経済的な諸条件等を用い、テロ指導者と非指導者を分かつものが何であるかを分析した。
  • 分析の結果、教育水準が高い人物ほどテロ組織において指導者となるが、その教育による効果は民主主義国家において大きく、非民主主義国家においては相対的に小さいことが明らかになった。反対に、教育の効果が相対的に小さい非民主主義国家においては、テロ指導者となった人物は信仰に関する発言を好む傾向がある一方、そうした傾向は民主主義国家においては確認できないものであった。
  • 以上より、Kruegerのテロリズムに対する分析は、「テロ指導者」という文脈において、部分的には支持されるが、非民主主義体制という環境下では必ずしも支持されないという可能性が示唆された。また、それと同時に、テロ指導者といっても単なる異常者ではなく、「民主主義国家においては教育、非民主主義国家においては信仰を重視する」という、世間一般に想定されるリーダー像と価値基準を同じくする部分を多分に含む存在であることを明らかにすることができた。
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